音楽と癒し

RELAX and HEALING

身体の力を抜く。

ただ、このことを求めるが故に、私は「身体」の分野へのアプローチを始めました。

整体的なことだったり、ヨーガや呼吸法、瞑想、気功術から取り入れられる要素だったり、思考からのアプローチやアレクサンダーテクニーク的なことだったり、植物のもつ癒しの力(身体を緩めるリラックス力)に興味を持ったり。

とにかく、身体の力を抜くコツがあるのならば、分野を問わずそのヒントを、具体的に、実践で使えることで知りたい、と紐解き始めて、かれこれ10年以上経ちます。

どうして?

問われれば、こう答えます。

「美しい響きを奏でるために。」

楽器奏法のコツは(すべからくだと思いますが)、総じて「力を抜く=身体の理に従う」ということにあります。しかし、私が師事した様々な楽器の、素晴らしい演奏家の先生方は、このコツを幼少期からの地道な鍛錬で潜在意識化している方が多く、「どうすれば力が抜けるか」ということを具体的に指導された方はいらっしゃいませんでした。「毎日の繰り返しです」「とことん練習です」「(私は)ずっとこうなのでやり方が分かりません」「技は盗んでください(真似てください)」という感じですね。「椅子が大切です」「子供のように」「大切な音は、息を吐く」「腕の重さを弓に置く」というようなアドバイスは時にありますが、何故そうなのか、その先が解説されることはありません。

ルーティンを繰り返すことで、動きを潜在意識に落とし込むのは、確かなコツのひとつです。脳科学からのアプローチだと思いますが、しかし、それしかないのでしょうか? 実際、私はそれしかない(反復練習しかない)と思っていました。楽器習得において「力を抜くコツ」でどうにかしようなどと、考えたことがありませんでした。

そのポイントを開眼させてくれた機会が、私にはもちろんあったわけですが、その時の素直な驚きは特別なものでした。身体的な視点で楽器奏法を見れば、それは当たり前なのでしょうけれど、楽器を奏でることが目的の私は、技術や譜面の解釈、次のステージに向けての練習や合わせなど、習得しなければならない要素が他にありますから、身体という分野にまでは関心が及びませんでしたし、目を向ける機会もなかったわけですね。それが母体であるのに。

ここを探っていると、力を抜く、ということの奥深さと向き合わないわけにはいきません。

もちろん、私は身体の専門家ではありませんから、膨大な情報のほんの上澄みしか理解できません。掘り下げる能力もないのですが、興味のあるポイントだけを戴くという愚かな探求の仕方であっても、これらの学びが実に意味深く、楽器奏法だけでなく、生きていく上での貴重な、素晴らしいエッセンスだと分かってきたのでした。

身体と心のバランス、癒し、自分という存在、心地よさの原点、に繋がってくるものだと。

例えば関節を緩めることにアプローチする場合、身体からのアプローチもあるでしょうけれど、意識を使うことで一瞬で緩むコツがあるのです。身体を司る全体像がほんの少し見えてくるのですね。

そして、身体を通じて、自然体に還ること、自分の素直さに還ることが、心の悩みをほどく糸口になったり、生きやすさのヒントになったりする。こういうことが分かってくるのです。

二胡という楽器の奏者である私が癒しの分野に関係しているのは、こういった身体探求のアプローチが理由のひとつだったりします。入り口は「楽器奏法」だったのですが、アウトプットは「人を癒すこと」になった、というわけなのです。

音楽は人を癒すものです。

自然は地球を癒すものです。

人は何を癒すのでしょう。

「共に響き合い、癒し合い、安らぎの循環を体感する。」

私の二胡レッスンのコンセプトは、ここにあります。

美しい響き。

これは、私にとって単純な次元のことではありません。森羅万象・自然界の持つ「心地よさ」や「美しさ」と、違いなき同一のものです。その探求のために開いた「力を抜くこと」の世界が、ここまで私を連れてきてくれました。

どうぞ、あなたという響きを聞かせてください。

そして、あなたという優しさを、アジアの二本の弦に乗せて、近くの誰かを、この世界を、あなた自身を、癒して下さい。

心から、サポートしてまいります。

  

翠月淳 JUN MIZUKI