二胡は長年やっていれば上手くなるのか?

二胡コラム

二胡歴が「長いから上手い」という方程式はないと思います。

二胡を長年やっていると難しい曲が弾けるようになってきますから、(二胡歴が長くなれば)上手くなるんだろうな、と思うかもしれませんが、そういうわけではないです。
レパートリーは増えるでしょうし、難易度の高い曲も弾けるようになるでしょう。技術も向上すると思いますが、「上手い」かどうかは分かりませんよね。人によります。


様々な理由があると思います。

例えばビブラートですが、二胡を長くやっているからといって身につくものではありません。
ビブラートは指の(屈伸)運動ですから、「訓練をスタート」しなければ、二胡歴10年でも20年でもビブラートはかかりません。”いつかかかると思って” 訓練を野放しにしていても同じです。魔法はないです。単なる鍛錬です。

「気づき」のない演奏も、長くやっているのに同じ場所に留まってしまう理由だと思います。
音は、楽器の物理現象の「気づき」によります。
響きは、身体の脱力の「気づき」によります。
音楽的であるかは、感性の「気づき」によります。

脱力のことを具体的に例えると、
二胡歴が長くても、腕に力の入った(脱力できていない)演奏ならば、何年経ってもさほど音の印象は変わらないと思います。「二胡をやっている友達の発表会に行ったけれど、5年前も今年も変わらない感じがした。」そういう感じです。

また、
難しい曲を弾けるようになっても、それが音楽的でなければ、聞いている側にとっては「上手くなった」とは感じないかもしれません。理屈先行で技術は十分にあっても、音楽を表現する力がなければ、「どれも同じようで」平板な演奏になってしまいます。

更には、こういうこともあります。
「音楽的であるか」と似ていることですが、上手(じょうず)と、上手い(うまい)は、違うということ。

ある方がこう表現していました。
「感心はするけれど、感動はしない。」

「感動」はさすがにハードルの高い領域ですが、この言葉に近いことだと思います。上手に弾けるようになるのと、上手い演奏は、全然別だということです。もちろんプロ奏者にも当てはまります。
しかも「自分は上手い」とアピールをする演奏ほど、聞いている人はウンザリするものです。そもそも自分が上手いと思っている時点でアウトでしょう。弾ける人ほど微塵も思っていません。


「そんなの分かってます。楽しいから続けてるんです。」と言いたくなりますよね。
実はその通りです。楽器に向き合っているのは自分です。そこに他人は一人もいません。自分の生涯の楽しみなのですから、どうぞこの楽園を(他の誰かに)侵害されませんように。私もそう思います。


表題に戻りますけれど、そういうわけで、
「二胡は長年やっていれば上手くなる」ということはありません。
変わるための鍛錬や気づきを「意識的に」積み上げなければ、同じ場所に留まる事になると思います。

美しい音で、豊かに音楽を表現できることが上手いことですから、そうなるにはどうしたらいいの?と思う方は、すぐにできることがあります。
ご自分の指導者に「上手くなるために、自分は何をするべきか」指南してもらうことです。
美しい音を出すために足りないものを、曲を解釈し、深く表現する方法を、次からレッスンしてもらって下さい。

この先の「自分と二胡のあり方」に『意識』を持つことです。ひとつひとつ実行していきましょう。
それは、とても楽しいと思いますよ。
新しい扉が開いたような喜びがあるはずです。

グループレッスンでは難しいかもしれません。個人レッスンに変えてみるという手段もあります。以下の記事にで触れていますので、参考になればどうぞ。

座り方も大きなポイントです。

音楽の根本に戻ることも大切です。

皆さんの二胡ライフがもっと豊かになりますように♪